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赤貧洗うがごときDVD 公共図書館向け

価格:11,000円
ドキュメンタリー映画DVD
「赤貧洗うがごとき―田中正造と野に叫ぶ人々」
池田博穂 監督・脚本
(企業、団体など含む)

あらすじ———-

『・・・・ああ、記憶せよ万邦の民、明治四十年六月二十九日は、これ日本政府が谷中村を滅ぼせし日なるを・・・・・』(荒畑寒村『谷中村滅亡史』)。それから百年、地球の環境はさらに大変なことになってきている。
『・・・・・かって目を楽しませた道端の草木は、茶色に枯れ、まるで火をつけて焼き払ったようだ。・・・・・・病める世界 新しい生命の誕生を告げる声ももはや聞かれない。・・・・・すべては人間が自ら招いた禍だった』(レイチェル・カーソン「沈黙の春」一九六二年刊 青樹簗一訳)と世界で初めて警告が発せられた。だがこの約八〇年前、足尾山地を源とし、その恵を受け農業と漁業が盛んであった渡良瀬川は、流されてくる鉱毒で魚は死に絶え農作物は枯れていった。被害民たちは足尾銅山の鉱業停止を求めて立ち上がった。その中心にあり、運動を指導したのは自らを「下野の百姓なり」と言う田中正造であった。
足尾の産銅量は日本一になっていた。国会が開設され、議員となった田中正造は枯れた竹や農作物を示し鉱毒被害の凄まじさを訴え鉱業停止を訴え続けた。『亡国にいたるを知らざればこれすなわち亡国』国会を震わせる正造の演説は農民たちを立ち上がらせる。
官僚天国となる日本の基礎を築いた山県有朋は日露戦争をみすえ増税案を通過させようとした。その見返りとして議員歳費を二倍半も引き上げる法案を可決した。正造は全額受け取りを辞退、民衆とともに戦うことをあらためて決意する。民衆の戦いは更に激しくなっていった。正造は鉱業停止を求めて、死を覚悟で天皇直訴を決行した。その挙を報じた新聞により、鉱毒問題は広がった。鉱毒被害視察団がつくられ、学生や有為の若者が多く参加した。そして被害地の女性たちの行動も広がっていった。
政府は、渡良瀬川流域を貯水池にし、その流域の村々を水没させることで鉱害問題の決着を図ろうとした。その中で、利島・川辺村では多数の村民が立ち上がり、「兵役・納税の義務の返上」を掲げた闘いを展開し、見事勝利する。しかし谷中村はさまざまな策略を持って廃村させられていく。
国民の目を侵略戦争へ向ける政府に対して、正造は「陸海軍を全廃し軍事費を教育に使え」と訴え続ける。谷中村を離れた村民たちは、北海道などで過酷な生活を強いられ、あくまで谷中村に残る農民たちには洪水が襲い掛かる。正造はその谷中村民の魂にうたれ、関東一円の河川の調査を行い、精密な地図を作り政府の政策を痛烈に批判した。『真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし』現在をも射抜く正造の言葉、そしてこの言葉に籠められた正造の生きざまが、今の世に語りかける。

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